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ひきこもりニートが創作活動・外出活動などをがんばって、現状脱却を目指します。
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昨日から親が家を留守にしていたので、楽しく過ごしていたが、もう少しで帰りますとさっき連絡があった。
はぁ。お気楽な日々もこれで終わりか。

雨と雷の騒音のせいで、睡眠不足気味だ。
関東の一部は水没気味らしい。
今は静かだけど、台風はもう去ったのだろうか?それともこれから来るのだろうか。
昨日は地震もあったし、天災続きだ。

地震はけっこう長く大きかったので、ついに直下地震きたかとビビッて、つい犬を抱えて机の下に隠れてしまった。
でもその隠れた机というのを後でよく見てみると、気取ったデザインで脚の部分が細く頭でっかちで、耐久性が疑わしいことが発覚。
簡単にポッキリいきそう。危ないところだった。


先日冷蔵庫で、7月1日に賞味期限の切れた納豆をいくつか発掘した。
それで少しずつ頑張って食べていたのが、今日でやっと最後の1パックを食べ終えられた。
納豆なんてもともと腐っているようなものだろうし、あまり気にしてはいなかったけど、でもなんか白い小さなプツプツができていたのは、何だったのだろう。
カビではないっぽいから、たぶん納豆菌の結晶みたいなものなんだろう。(と、いうことにしておく。)

今まで大丈夫だったのだから大丈夫と思うのだけど、一応加熱した。


「納豆キムチそうめん炒め」という適当な料理にした。

200908101548000.jpg

タレを混ぜた納豆と刻んだキムチをごま油で炒め、そこに軽く茹でたそうめんを入れ炒め、顆粒スープ適量と胡椒少々を入れ混ぜ、ついでに砕いたピーナッツを入れ混ぜたら、完成。
ピーナッツは食感のアクセントを目指して入れた。

味は、不味くは無かった。
特別美味いというわけでもないが、忘れた頃にまた食べたくなる味かもしれない。

そういえばお皿がいつも同じだけど、これしかないというわけではない。


親が帰って来た。これから晩御飯。
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私と母と、母の知り合いらしき女の人の3人で、モノレールらしきものに乗っている。
車窓から見下ろす街は都会で高層建築が多いが、建物一つ一つに歴史のある感じで、緑も多く、ゆったりとして美しい。
女の人は窓の外を見ながら、歌を歌っている。
私もリラックスしている。

場面は切り替わり、3人は、流れるプールのようなところで泳いでいる。
プールは広大だが、夏休みだからか人が多い。
プールの中から、エスカレーターが伸びている。
3人は水の流れに抗いながら、なんとかそれに乗る。
エスカレーターで上がった所は、フードコートになっていた。
広い廊下に面して店が並び、店の前にはベンチが何列か配置してあり、ぽつりぽつり人が座っている。

急に、女の人が「具合が悪い」と言い出す。
どうやら、流れるプールの波に酔った(?)らしい。
彼女にはベンチで休んでいてもらい、私は彼女にも食べられそうなものがないか、店を見て回る。

店の並びの一番奥に、パン屋がある。
そこのメロンパンがとても美味しそうなので、見つめていると、隣に人の気配を感じる。
見ると、その人は押尾学だった。
押尾学も、メロンパンをじっと見つめている。
と、押尾学はいきなり、お金も払わずにその場でメロンパンを食べ始めてしまった。
私は少しうらやましく思いながらも、その場を離れ、他の店を見て回る。
そこのフードコートはなぜか、どの店も甘いものしか売っていない。
「甘いものじゃダメなんだよな、もっと栄養のあるものじゃなきゃ」と、私は思う。

暫くして再びパン屋の方に目をやると、押尾学が、勝手にメロンパンを食べた罪で警察に逮捕されていた。

夢はそのへんで散り散りになり、私は暑さで目が覚めた。


プール場面の解説図
yume0807.jpg


*  *  *


久々に、悪夢ではない夢を見たので、また記してみた。
今回の挿絵は、ちゃんと解説的なものを描いてみた。
特にプールに行きたい願望があるわけでもないのに、なぜまたこんな夢を見たのか不思議。
押尾学の登場は、最近の事件のせいしかない。
だけどなぜメロンパンなのか。


人の夢ほどどうでもいいことはないと思う。
せっかく訪問してくれた人にこんな記事を読ませてしまうのは忍びないが、もともとこのブログは管理人の自己満足のためのものだし、今後の記事も人から見たら無益で無駄なものばかりになるだろう。

自分としてはこの夢絵日記は、セラピーのようなものとして書いている。
いや、セラピーなんてほどの大層なものでもない。
やっぱりただの暇潰しだ。
だけど、書いてるとなんとなく少しだけ気分が落ち着いてくる気がするような、暇潰し。

ご了承願います。
8月3日

部屋の中を黒い影の塊のような生き物が走り回っている。
私はその生き物を”敵”と認識していて、右手に鋭い棒のような武器を持ち、緊張している。
生き物がこちらへ近づいた瞬間、私は右手の武器を生き物めがけて振り下ろす。
武器は生き物を貫通するが、死なない。
私は恐怖に駆られ、何度も何度も生き物を突き刺す。

生き物が少し弱ってくると、生き物を覆っていた影が消え、中の姿が見えてくる。
よく見ると生き物は、自分の飼い犬であった。
私は驚き、激しく後悔する。
犬は、苦しそうにこちらへ歩み寄り、しゃがんだ私の腕に頭をこすりつけてくる。
私は犬を抱きかかえなんとかしようとするが、たくさんの深い傷から大量に出血し、みるみる弱っていく。
血の臭いが漂う。
「犬はもうダメだろう・・・私が殺したんだ」
と絶望的な気分になったところ、目が覚める。

200908040146000.jpg



8月4日

私は修学旅行かなにかで、田舎の古い民家のような宿に来ている。
宿はとてもボロく、トイレも不衛生なぼっとん便所しかない。
夜、尿意を催した私は仕方なく、そのトイレで用を足す。
スッキリした私は、だがなぜかそこで、服を着替えることを思いつく。
それで服を脱ぎ始めるのだが、なにかの拍子に、服をぼっとん便所の中に落としてしまう。
拾おうかどうか一瞬迷ったが、諦め、寝る。

翌朝、再びそのトイレで用を足した私は、なぜかまた服を着替えることを思いつく。
今度は大丈夫だろうと思い脱ぎ始めたのだが、しかし、また脱いだ服をぼっとん便所の中に落としてしまう。
呆然と、異臭漂う暗い穴を見つめながら、
「そういえば、私が旅行に持ってきていた着替えって、これで全部だったな・・・」
と絶望的な気分になったところ、目が覚める。

200908050237000.jpg


*  *  *


このようにいつもろくな夢を見ないのだが、3日の夢を見たときはさすがに堪えた。
目が覚めても夢のリアルな感じが残っていて、酷い気分で、布団に横たわったまましばらく泣いていた。

おそらく前の日に、「シティ・オブ・ゴッド」という殺伐とした映画を観たことと、日ごろ飼い犬の体調を気にかけていることが影響してあの夢を見たのだと思う。
最近気分が低迷していることもあるかもしれない。

4日のは、なんであんなのを見たのか分からない。
夢を見ている時は悲惨な気分だったけど、今は笑えるだけだし、どうでもいい。

挿絵については、夢とは無関係に描いた落書きの中から、関連性がなくもないような部分を切り取っただけ。
でも落書きのとりとめのない感じが、どこか夢っぽいかもしれないとも思った。

f6e5d698.jpg
最近、家の中に蟻が侵入してくる。
今日とうとう彼らの通り道に、アリの巣コロリが設置されていた。





蟻たちはまんまと騙されて、黄色い顆粒状の毒エサをせっせと運んでいた。

下の方の散らばった粒は、蟻たちが運び出したもの。これらはなぜか、容器を挟んで巣のある方とは逆側に運び出されていた。何の意図があるのだろうか?
エサをちゃんと巣に運んで行く者がいる一方で、手ぶらで巣へ帰って行く者もいる。容器の壁面に張りついて、じっとしているだけの者もいる。
考えがあってのことなのか、毒に侵されて頭がヘンになっているのか、ただ無駄なことをしているだけなのか。
生態もあまり知らないのでよく分からない。

ところでなんかこれ、ついつい見入ってしまう。
気付くと、小一時間も蟻を観察していた。ご飯を食べるのも忘れて。
さすが暇人。


一日中眠く、気力もなく、ぼーっと過ごしてしまった。クロッキーもしなかった。
気分的にもダメだった。
ハイライトは「蟻の観察」だったかもしれない。
以下は、先日描いたもの。

200907300223000.jpg

200907280025000.jpg

200907280025001.jpg
家に客が来ていたので、私は2階で日中のゴキブリみたいに静かに過ごしていた。

夕方、すごい勢いで雨が降り出したと思ったら、雷の轟きが。
2回ほど、家が揺れるほどのすさまじい轟音があった。
隣家にでも落ちたのかと思っておもわず窓から覗いたが、何ともなかった。
他人の心配をしている場合ではない、うちに落ちるかもしれない、雷に狙われてるのは私かもしれない。
落ち着かなかった。

だが暫くして雷も雨もおさまってくれた。
ホッと息をついたところ、サイレンの音がして、家のすぐ脇を消防車が猛スピードで走り抜けていった。
ひょっとして、近くの民家なんかに落雷して、火事にでもなっちゃったのだろうか・・・?
まさかね、恐ろしすぎる。



客が帰った後、リビングの椅子にアルバムらしきものが置いてあった。
開いてみると、姉の成人式の時の記念写真だった。
客は母の古い友人だったので、互いの子供の成長を自慢しあう流れで、母が客に見せたのだろう。
ついでに、周辺に私のアルバムもないか探してみたが、サッパリ見当たらなかった。

姉のは見せて、私のは見せない。


あれからその意味について何となく考えていたけれど、今はもう考えるまでもない、なんでもない、くだらないことだと思っている。
だって、そうだ。そういうもんだよ。親しい友人が来たからと挨拶を促しても頑なに拒否し2階で陰気に閉じこもる社会性のカケラもないひきこもりニートの不出来な娘のアルバムなんぞ、見せたいとは思わないよ。そりゃあね。ていうかむしろ、それで助かった!私の写真、お姉ちゃんのとは違ってチビでムッチリでなんかいらない貫禄まであって、ベテランの演歌歌手みたいだもん。全然綺麗じゃないし。見られてたら超恥ずかしかった。お姉ちゃんのと比較されたら嫌だったしね。危ない危ない。だからよかったまじで!うん、よかったよかった。うんうん。






雷にでも打たれてしまえばよかったんだ。
学生時代、私は主体性のない人間だった。

自分の意見や主張というのを持たず、ただ周りに流されて生きているだけだった。進路など大事なことは全て親が決めたし、親の決めることが一番正しいと思っていたから、私はただそれに従うだけだった。みんなが勉強するから、私もした。みんなが将来の夢や目標を持つので、私も持った(だから本心からの夢や目標ではなかった)。何も考えてはいなかった。考えようとする意欲さえなかった。学校や親の価値観が、自分の価値観だった。

私の中には 何もなかった。私の中にあるのはただ、虚ろな空洞だけだった。けれど、将来の夢や目標を持たないと、意欲に満ち溢れていないと、大人たちに見放されてしまう、見捨てられてしまう、と感じていた。自分が空っぽの人間であるという、怖ろしい事実を自分でも認めたくなかったので、周りの期待や願望を自分の夢や目標と思い込むことで、誤魔化していた。だから本当は常にやる気のない無気力な人間だったが、「やる気のある人間」を全力で演じていた。

「ツノモは、何がしたいの?将来どうしたいの?」
といった大人の質問には、それを質問した大人が私に対し抱いている期待、願望をだいたいそのまま答えていた。それが自分の意思そのものだと思い込みながら。

今思えば、その頃の私の本心からの望みといったら、誰とも会わず、家でおやつを食べながらのんびりTVを観るか、ゲームをしたり、日がな一日ボーっとして妄想に耽ることぐらいだったように思う。そのときだけ私は、自分が本当の自分でいられるような、安らぎを感じていた。他には特に何も必要なかった。家は金持ちではないが貧乏でもなく、物理的にも満たされていたし、欲しいものも特に無かった。私の本当の願望とは、そのくらいのものだったのだ。根っからのひきこもり体質だったのかもしれない。

周りのみんなが将来のことを語り、バイトの話をしたり、恋愛話に花を咲かせお洒落に夢中になったりしているのを、態度では興味を示すフリをしながらも、内心不思議な思いで見つめていた。本当は、勉強も、人付き合いも、将来のことを考えるのも、一切が私にとっては面倒なだけだった。できれば何もしたくなかったのだ。欲求や関心というのが、何に対しても希薄だったように思う。


そんな私がこの、ひきこもり状態、ニート状態になったのも、ごく自然なことだったような気がする。

あの頃の私はやっぱり、ヘンだった。
今も大差ないのかもしれないけれど、少しはマシになったと思う。
子供の頃から、人の顔色を窺ってばかりいた。

いつからか無意識に、親の期待にこたえること、「良い子」でいることが、親から愛される術だと思い込むようになった。「ありのままの自分」では誰からも認められない、受け入れてもらえないと思っていた。思春期にあるような反抗期というのも、自分には無かった。

学校の友達に対しても同じで、本心を言えず、どこかで壁を作っていた。友達と遊ぶより、家にこもってTVを観たりゲームをしている方が楽しかった。それでも 嫌われ孤立するのは怖ろしいので、無理に愛想よく明るく振る舞い、道化を演じる日々だった。この傾向は思春期にさしかかった辺りから顕著になっていったように思う。

高校時代、クラスの9割以上が携帯電話を持つようになっても、自分は少しも欲しいとは思わなかった。誰といても心から楽しいと思えることが無く、緊張して疲れるだけなので、なるべく学校以外では付き合いたくなかったのだ。だが同時に、学校で孤立することを激しく怖れてもいた。

親は教育熱心だった。特に父親は家庭教師の経験があったこともあり、よく付きっきりで勉強をみてもらった。だが教え方はというと下手くそで、問題の解き方を なかなか理解しなかったり何度も間違えたりすると、ヒステリックに怒鳴られ、叩かれたりしたこともあった。説明が分かりにくいので同じことを質問すると、怒り出すので、分かったフリをして誤魔化していた。父との勉強の時間は、恐ろしく、苦痛なものだった。

私の親は、世間一般の価値観の通りに、とにかく「将来安定した職に就くためにも、良い学校に入ること」を私に望んだ。それを呪文のように何度も、まるでそれだけが人生の価値であるかのように唱え続けた。私もそのように思っていた。そのように生きることが、親から認められる、受け入れられる条件だとどこかで感じていた。
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自己紹介:
20代半ばのひきこもりニート。飼い犬が唯一の友達。
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