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ひきこもりニートが創作活動・外出活動などをがんばって、現状脱却を目指します。
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深夜、私が一階でネットをしていると、いつもならとっくに寝ているはずの父親が二階から降りてきた。
夕飯の後すぐソファーで寝ていたせいで、寝付けなくなってしまったのだろう。
父は「おはよ~」などとふざけた感じで話しかけてきたが、私は無視していた。
石のように無反応な私に話しかけるのを諦めた父は、そのうちTVを観始めた。
TVを観ながらも時々こちらの様子を窺ってきたけど、私は、まるでこの空間に父は存在しないかのように振る舞い続けた。

深夜という、唯一私が癒しを感じる時間、解放される時間、私だけの素敵な、神聖な時間に、ドカドカ踏み込んできて欲しくないのだ。

この時間、私は完全に「深夜モード」に切り替わっている。この時間に私のいる空間に入って来る人間は皆、侵入者、侵略者、邪魔者、ゴキブリである。
だから私は、見かけには父の言動一切を無視しながらも、実はその言動ひとつひとつが気に障っており、忌々しく、苦々しく感じているのだった。

それでも、日中の私は、けっこう愛想が良い。もちろん家族の言動を無視したりもしない。話しかけられたら、余程くだらないことでなければ答えるようにしているし、気を遣うし、冗談を言ったりもする。

だけどやっぱり、深夜は別なのだ。
大抵ネットしてるか、TV観ながらなんか食ってるだけなんだけど。まったく大したことはしてないのだけれど。

それでも、私だけの素敵な、神聖な時間なのだ。



人体の3分スケッチ。
できるだけ毎日描くために、頻繁に載せようかとも考えているけど、エロいブログと思われてしまうだろうか。
これでもエロくないページをチョイスした。


200907240257002.jpg









おじさんの練習
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何気なく、ふくらはぎを見たら、ダニが食いついていた。

このごろ飼い犬につくようになったダニによく似ていた。今日も犬に触ったから、きっとそうだろう。人間も襲うのだ。そこそこ大きいダニなので、ビジュアル的にもショックだった。そんなのに食いつかれて全く気がつかなかった自分の鈍さも。

毛抜きで引き剥がし、グリグリと憎しみをこめて潰してやった。血はほとんど吸われてなかったし引き剥がす際痛みもなかったので、皮膚の表面にくっついていた程度なんだろう。だけど確かに奴は私の血を狙っていた。気色悪い。蚊よりもずっと気持ち悪い。

犬にダニの薬をつけた方が良いんだろうけど、今は尻の炎症止めに抗生物質を飲んでいるせいかちょっと具合が悪そうなので、気が進まない。どうしたものか。

なんかこのブログ、虫とか犬とかばっかだな。
でも虫とか犬とかぐらいだから、相手してくれるの。


*  *  * 


自分がこのブログを始めた動機は、もうひとつのブログに愛想を尽かしたから、というものだけではたぶん、ない。

「引きこもりの自分」についてもっと考えたくなった、ということだと思う。

今まで長いこと、とにかく早く引きこもりから脱出しなくちゃ、外に出て行かなくちゃ、人とコミュニケーションできるようにならなくちゃ、といった「社会に自分を合わせねば」ということばかり焦って考えてきた。で もそうして数年間考え続けて、なにか行動できるようになったのかといったらサッパリで、むしろ「そうしなきゃいけないけど、できないしたくない、でもそう しなきゃ・・・」という思考を繰り返すだけの日々だった。そしてそんな無限ループの苦痛からの自己防衛として、いっそう現実逃避能力が鍛えられただけだった。

これまでも変われなかったのだから、これからも同じだろう。思考が変わっていないのだから。
だったらもうこの際、「~しなきゃ」というのは一旦わきに置いといて、ちょっと考えなおしてみた方がいいんじゃないか。ここにきて段々、そう思うようになった。

なんで自分は引きこもり続けているのか。なんで外へ出て行けないのか。「ひきこもり」って一体何なんだ。自分って何なんだ。

そういうことをもっとちゃんと考えたくなったんだと思う。
6月21日(日)

父の日なので、二時間も台所に立ち、気合いの入った晩御飯を作った。
父の日、母の日、誕生日なんかもそうだけど、こういった「親に感謝する日」に、私が腕を振るったり何かをするとき、その動機は「感謝の気持ちを伝えるため」というよりは、「単にそういうポーズをとってるだけ」という方が断然近い。

それもこれも、
「より安全に、より平和に、より快適にひきこもっていられるため」だ。

私がこの家で、素直に自分の感情のままに暮らしていたら、親との関係はもっとずっと険悪なものになっていただろう。
今家から放り出されては、とても生きていける気がしない。

親に、「ひきこもれる環境」を人質にとられている限り、こうした努力や忍耐、多少のストレスや犠牲はやむを得ないのだ。
私にとってこれは、死活問題なのだから。

なんとも情けない、寒々しい、かなしい話だ。



6月22日(月)

犬が相変わらず臭いので病院に連れて行ったら、やはり肛門腺に炎症が起きているとのこと。
長細い金属の管でお尻に薬を注入されて、悲鳴を上げていた。
とても痛そうで可哀想だったけど、なんか今その様子を思い出すと、笑ってしまう。

病院には動物の看護師さんがいる。
私はこの仕事にちょっとだけ興味を持っていたけど、
おしっこ&肛門腺まみれで暴れる臭い犬を抱えて押さえつけたりする仕事は、やっぱりどう見ても大変そうだ。
もっと大型の凶暴な犬なら、危険もともなう。
動物への揺るぎない愛情、寛容さがなければやってられないだろう。
比べて私は、愛犬一匹面倒見るのにも精一杯だ。ダメ飼い主だし。
みるみる興味はしぼんでいった。

この炎症は治りにくいそうで、しばらく通院させなきゃならない。
人間より病院に行っている。保険きかないから高いし。
一週間朝夕、抗生物質を飲ませる。
私ってつまりなんにもない人間なんだけれど、実はその「なんにもない」っていうことが生きる力になっていることが無きにしも非ずなのかもしれない。

10代の終わりから今に至るまでひきこもり、青春を棒に振り彼氏も友達もなく、ろくな思い出も成し遂げたものもなく、人生経験と呼べるものなど殆んどない。
私はまだなんにも経験していない。
絶望的なまでになんにもない人生、なんにもない人間。

でも、だからこそ、
「このままで終わるのは絶対嫌だ!」
みたいな怨念のような人生への執着があったりして、実はそれに今までけっこう支えられてきた部分があったような気も確かにするのだ。

悲観的だし、ときには、というか、暇さえあれば弱気になる。
生きるのがどうしようもなく面倒に思える。死んだ方が楽にきまってるよなと思う。
だけどそんなときに、

「なんにもなーい」

と頭の中の誰かがつぶやくのだ。

「彼氏できぬまま恋もセックスもできぬまま笑いあい傷つけあう友達もできぬまま何も成し遂げられず何も経験できぬまま成功も失敗もなく喜びも悲しみもなく何も感じぬまま、なんにもないままで終わるんだね、けっきょく君は。」

そう嘲笑う声がする。
その憎々しい声に私はつい、

「うるさいな。だれが終わりにすると言ったよ、冗談だよ。騙されたな馬鹿め!ばーかばーか!」

とムキになる。
そして同時に、腹の底からむくむくと、なにかが湧いてくるのを感じる。
怒りのような、怨念のような、やけっぱちのような、だけど確かな生への執着を感じる。
衣替えをしたことで、気力体力を使い果たしてしまった。
疲れやすい。

衣替えでひと通り自分の服を眺めてみると、本当にうんこみたいな服しかないことが改めてよく分かる。
最近よく着ている服が2割、ここ数年来てない服が8割、という構成だ。
つまり毎年、ほとんど無駄な服を出したりしまったりに膨大なエネルギーを費やしているわけだ。
なんという無駄。

だけど無駄な服を捨てるとなると、ほとんどの服を捨てなきゃならないことになる。
そんなこととてもできない。
ただでさえ私はモノをなかなか捨てられない性分なのだ。
だから服の中には、小学生時代のものまであるくらいだ(実はそれは最近まで着てた)。
さすがにそれは捨てたけど。

私って、けっこうなエコ人間だよな。
再び膨大なエネルギーを費やして無駄な服でいっぱいにしたクローゼットを眺めて、しみじみそう感じた。


200905270209000.jpg







数日前から家の外が騒がしい。
家の塗装だか補修だかをしに業者が来ているせいだ。
昨日は朝っぱらから、家の壁を叩き割っているのかと思ったほどの轟音だった。
いったい何をしているんだか。
やめてほしい。
私の平穏な生活を乱すのはやめてほしい。

今日はまだマシな方だったけど、私の部屋の雨戸をガラガラ開けたり閉めたり、雨戸に水だかをザバザバかけたりの音がひっきりなしで、熟睡できなかった。
日中寝ている私も私だけど。
ところでそんな感じの窓際作業なので、カーテンをぴっちり閉めていないと、業者の人に、私の汚い部屋と睡眠中の汚い寝相の私自身が丸見えになってしまう。
だから寝る前には、きちんとカーテンを閉めておいた。
・・・のつもりだったんだけど、起床後、業者が帰ったか確かめるため窓に近づくと、カーテンと壁の間に、10cmほどの隙間ができていることに気付いた。
そしてそのたった10cmの隙間から、運悪く、ハンガーに下げられた私のしなびたパンツが丸見えであることが発覚した。

業者の人にパンツを見られたかもしれない、という事実は、今日一日私の心に暗い影を落としていた。
いつもはそんなことしないのに、なんでよりによって今日、あんなところにパンツを干しちゃったんだろう・・・
しかもなんで2枚で280円の安物パンツなんか・・・もっと可愛いパンツ干しとけばよかった・・・
後悔はとまらない。


もう業者の人とは、顔を合わせられない。
私の姿を見たらきっとたちまち、

「あ、あのショボい縞々パンツの子だ~wwwてか、なんでこんな時間帯に家に居るんだ?ひきこもりか?縞々ひきこもりパンツか??キモッwwwww」

とか嘲笑されるんだ。
考えただけで嫌な汗が出てくる。しかもこの業者の作業、あと2週間くらいは続く。
仕方ない、しばらく籠もりっきり生活をするしかない。


まぁ、籠りっきりはいつものことなんだけど。



ここのところ生活リズムが元に戻ってしまっていたが、今日はなぜか少し早めに目が覚めたので、布団を干してシーツを洗った。
しかし2時間後に雨が降り出してしまい、逆に湿気の増した布団が出来上がった。


夜、古本屋へ出かけた。
そういえば約10日ぶりの外出であった(犬の散歩を除き)。
ついこのあいだ、「これから必ず週2回は外出するぞ!」とか息巻いてたばかりなのに。
なんという意志薄弱。

もとからあまりお洒落に興味がない上に、こうして引きこもりほとんど人の目を意識することのない生活を送ることにより、私のファッションセンスはうんこと化してしまった。
いくら時間をかけて選んでも、もともと流行を完全無視したダサい服しかないので、時間の無駄だ。
そもそも、この弛みきった身体を何で覆ったところで同じこと。
鏡の前に立ったとたん、そこに映る珍獣を発見したとたん、外出する気はたちまち失せてしまう。

でも、だからといってこのまま外出を忌避し続ければ、
こもる→外見にかまわなくなる→太る、ファッションセンスの腐敗→こもる
と、負のスパイラルをするだけだろう。
そしてある日、ちょっとベランダに出たところを通行人に撮影されて、
「UMAか!?謎の珍獣発見!!」
とかネット上で話題になっちゃったりするだけだろう。

兎にも角にもやっぱり、どんなにしんどくても外出はすべきなのだ。
明日もするのだ。そして本屋に行って、数年ぶりかにファッション雑誌でも買って来るのだ。
がんばるしかないのだ。人でいたいのなら。
あーー人でいるってめんどくさい。
というか生きることがめんどくさい。



↓は時々描いている、人体(主に女体)のスケッチ。
ヌードポーズ参考本を見ながら。
こんなスリム体系に憧れる
プロフィール
HN:
ツノモ
性別:
女性
職業:
無職(長い)
趣味:
絵を描くこと
自己紹介:
20代半ばのひきこもりニート。飼い犬が唯一の友達。
◎リンクフリーです。
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