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ひきこもりニートが創作活動・外出活動などをがんばって、現状脱却を目指します。
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このブログも始めてから三ヶ月が経ち、そこそこ記事数も溜まってきた。だけども訪問者はというと、未だゼロに近い。カウンターがほぼ私だけで回っているという現状だ。書くの、私。読むの、私。ちょっぴり哀しくなってくる。更新するのはいいけど、ブログのプロデュースが出来てないというか。

せっかくネット上に書いてても、誰にも見てもらえなかったらそれは、ただの日記と変わらない。それでも私は一応、ここの記事は誰かの目を意識して書いている。誰かの目を少しでも意識して書くことが必要なように感じたから、ブログを始めたのだ。

というわけで少しでも見てもらうために、先ほど、「にほんブログ村」のランキングに参加した。
www.blogmura.com/

現在瀕死状態の、創作メインのブログの方で既に登録経験があるので、簡単だった。もっと早く参加してればよかったのかもだけど、あっちと違ってこんな何も無いブログにランキングもなにも・・・という思いから敬遠していた。でも考えてみたらランキングは、暫くやって無意味に感じたらやめればいいだけの話だった。

参加したカテゴリーのブログさんたちも気になる。ゆっくり覗きに行こう。
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suisai-umi.jpg

「海の生き物」 (クリックで拡大)

一枚30円以上もする紙に描いてみた。滲みも発色も良い感じだ。目が粗いから紙の凸凹感が出て、味わいのあるタッチになる。紙は高いぶん無駄にできないと思うから、慎重に描ける。悪くいうと伸び伸び描けない。貧乏性なのかな。

まとまってはいるけど、面白味に欠けるかも。
エビが気に入っている。
何気なく、ふくらはぎを見たら、ダニが食いついていた。

このごろ飼い犬につくようになったダニによく似ていた。今日も犬に触ったから、きっとそうだろう。人間も襲うのだ。そこそこ大きいダニなので、ビジュアル的にもショックだった。そんなのに食いつかれて全く気がつかなかった自分の鈍さも。

毛抜きで引き剥がし、グリグリと憎しみをこめて潰してやった。血はほとんど吸われてなかったし引き剥がす際痛みもなかったので、皮膚の表面にくっついていた程度なんだろう。だけど確かに奴は私の血を狙っていた。気色悪い。蚊よりもずっと気持ち悪い。

犬にダニの薬をつけた方が良いんだろうけど、今は尻の炎症止めに抗生物質を飲んでいるせいかちょっと具合が悪そうなので、気が進まない。どうしたものか。

なんかこのブログ、虫とか犬とかばっかだな。
でも虫とか犬とかぐらいだから、相手してくれるの。


*  *  * 


自分がこのブログを始めた動機は、もうひとつのブログに愛想を尽かしたから、というものだけではたぶん、ない。

「引きこもりの自分」についてもっと考えたくなった、ということだと思う。

今まで長いこと、とにかく早く引きこもりから脱出しなくちゃ、外に出て行かなくちゃ、人とコミュニケーションできるようにならなくちゃ、といった「社会に自分を合わせねば」ということばかり焦って考えてきた。で もそうして数年間考え続けて、なにか行動できるようになったのかといったらサッパリで、むしろ「そうしなきゃいけないけど、できないしたくない、でもそう しなきゃ・・・」という思考を繰り返すだけの日々だった。そしてそんな無限ループの苦痛からの自己防衛として、いっそう現実逃避能力が鍛えられただけだった。

これまでも変われなかったのだから、これからも同じだろう。思考が変わっていないのだから。
だったらもうこの際、「~しなきゃ」というのは一旦わきに置いといて、ちょっと考えなおしてみた方がいいんじゃないか。ここにきて段々、そう思うようになった。

なんで自分は引きこもり続けているのか。なんで外へ出て行けないのか。「ひきこもり」って一体何なんだ。自分って何なんだ。

そういうことをもっとちゃんと考えたくなったんだと思う。
約一年ぶりに水彩道具を引っ張り出して、遊んだ。
夏はなぜだか水彩画を描きたくなる。夏以外は見向きもしないくせに。
水っぽい、からだろうか。
描いてると涼しい気分になる。
色が水にのって、勝手に流れたり混ざり合ったり滲んだりするのを見ているのが楽しい。

ただ、ふつうの画用紙だと滲みが綺麗に出ない。なかなか水を吸ってくれない。
ちゃんとした紙も持ってはいるけど、紙といえども高いので、今の技術で塗り潰してしまうのは勿体ない。
失敗を誤魔化した痕跡もちらほら。(というか誤魔化せていない)
もうちょっと練習して、いずれちゃんとしたのを描きたい。

(クリックで拡大)

200907021704000.jpg



実はこのブログとは他に、もうひとつ管理しているブログがある。
そっちは、自作の漫画やイラストなどを載せている趣味中心のものなのだが、近頃は更新も停滞気味で閑散としている。そろそろ潮時かなとも思っている。

それなりに思い入れのあるブログだ。
1 年半、無気力で怠け症な自分に鞭打ちつつ描いてきた日々の、歴史があるのだ。それらは、何もないひきこもり生活の中での、私の唯一の充実だっ たし、楽しみだった。自分の描いた拙いマンガに、初めてコメントを貰ったのもあそこだったし、何人かの、自分と同じように描くことをを趣味としている人達にも 出会い、刺激を受けたのもあそこだった。基本更新少ないし人もあまり来ない地味なブログではあったけど、毎回のようにコメントをくれる人もいた。

だけどあそこは、存在を家族に知られてしまっている。それが、あそこをこれ以上続けられない理由だ。

もともとあのブログは、「引きこもってるならせめてブログでもやれ」と口うるさい私の姉の勧めで始めたこともあって、その流れで自然と親にも知られてしまった。家族全員の監視下にあるということ。これでは表現の自由など皆無だ。

心情を吐露したい、たまにはエロいことだって、家族の悪口だって書きたい。気づかぬうちにそんなフラストレーションが溜まっていたのだろう、約3か月前のある日、突然突き動かされるように、何かに操られるようにしてこのブログを開設してしまった。

こうなることは、初めから分かっていたような気がする。
思えば、そんな環境下で一年半続いただけでもすごいじゃないか。
もう充分だ。

・・・なんでこんなことダラダラ書いてるのかというと、実はやっぱりなかなかどうしても、踏ん切りがつかないからだ。ここにこうして決心を綴ることで、なんとかあのブログへの思い入れ、執着を断ち切りたいのだ。
本日2回目の投稿。
日付けが変わってしまったので、これは昨日の日記になるが、私がブログを書くのはだいたい深夜なので、記事中で「今日」といっているのは、だいたい日付け的には昨日の出来事となる。



「ビューティーコロシアム」という番組を観る。

あそこに出てくる人達は、化粧や体を絞ることでだいぶ変わるだろうという人が、けっこういる。みんな変身前の表情は異常に暗いし、ノーメイクだし、ファッションも、わざとダサく見えるよう演出しているようにも見えるし。

だけど中には正直、 「人は容姿じゃない」とか「容姿は努力次第でどうにでもなる」とかの綺麗ごとが通用しない、恵まれない容姿の人達がいることも確かだ。

世の中に「美しい人」が存在するのと同じ摂理で、「美しくない人」も存在する。それは確かなことだ。もっとも、美の基準というのは時代ごとに変化するし、それこそ美意識なんていうのは人の数だけある。だから私のいう「恵まれない容姿の人達」というのも、たった私個人の美意識、感覚で判断したものに過ぎない。

それでも、あの番組に出てくる人たちの佇まいや暗いオーラ、自信のない表情、各々が経験してきた周りからの反応・仕打ちなどを語っている様子を見ているとやはり、「どんな容姿で生まれてくるか」、ただそれだけのことが人生をどれだけ左右するかを、その理不尽さを思わずにはいられないのだ。

私自身も、自分の容姿にはまるで自信がない。コンプレックスの塊だ。できるだけ外出したくないのも、多少醜形恐怖・視線恐怖気味だからなので、特に、容姿のせいで引きこもりになったという女性のエピソードには堪えた。

そんな時に、横で一緒にそれを観ていた母が、
「でもこの人、それでもこうやって外に出て来てるんだから、偉いわよねぇ」
と、さも意味ありげに言ったのが、自分への嫌味のように聞こえた私は不愉快になり、すぐ自室へ上がってしまった。なので、結局30分程しか観なかったのだが。

ただ、自室で改めて思ったのは、やはりどうしても生まれ持った自分の容姿が苦痛と感じるなら、それをずっと思い悩んで暗く生きるよりは、サッパリ整形してしまった方がいいな、ということだった。

今の社会は、 いろいろ建前を言ってても結局は容姿を重要視する風潮があるし、女性は特にそれにさらされる。そしてその風潮がそう簡単に変わるとも思えない。哀しく悔しいことだけど、容姿が美しい方が何かにつけて得だというのも、事実だと思う。

今のところ私は、整形を考えるほど思い詰めてはいないけど(その前に努力すべき課題がたくさんある)、選択肢として全然ありだと思っている。
 
見ようによっては、たまたま生まれ持った幸運なだけの美貌よりも、苦悩と葛藤の末覚悟を決めて選び取った美貌の方が、美しいのではないかとも思うのだ。
6月21日(日)

父の日なので、二時間も台所に立ち、気合いの入った晩御飯を作った。
父の日、母の日、誕生日なんかもそうだけど、こういった「親に感謝する日」に、私が腕を振るったり何かをするとき、その動機は「感謝の気持ちを伝えるため」というよりは、「単にそういうポーズをとってるだけ」という方が断然近い。

それもこれも、
「より安全に、より平和に、より快適にひきこもっていられるため」だ。

私がこの家で、素直に自分の感情のままに暮らしていたら、親との関係はもっとずっと険悪なものになっていただろう。
今家から放り出されては、とても生きていける気がしない。

親に、「ひきこもれる環境」を人質にとられている限り、こうした努力や忍耐、多少のストレスや犠牲はやむを得ないのだ。
私にとってこれは、死活問題なのだから。

なんとも情けない、寒々しい、かなしい話だ。



6月22日(月)

犬が相変わらず臭いので病院に連れて行ったら、やはり肛門腺に炎症が起きているとのこと。
長細い金属の管でお尻に薬を注入されて、悲鳴を上げていた。
とても痛そうで可哀想だったけど、なんか今その様子を思い出すと、笑ってしまう。

病院には動物の看護師さんがいる。
私はこの仕事にちょっとだけ興味を持っていたけど、
おしっこ&肛門腺まみれで暴れる臭い犬を抱えて押さえつけたりする仕事は、やっぱりどう見ても大変そうだ。
もっと大型の凶暴な犬なら、危険もともなう。
動物への揺るぎない愛情、寛容さがなければやってられないだろう。
比べて私は、愛犬一匹面倒見るのにも精一杯だ。ダメ飼い主だし。
みるみる興味はしぼんでいった。

この炎症は治りにくいそうで、しばらく通院させなきゃならない。
人間より病院に行っている。保険きかないから高いし。
一週間朝夕、抗生物質を飲ませる。
プロフィール
HN:
ツノモ
性別:
女性
職業:
無職(長い)
趣味:
絵を描くこと
自己紹介:
20代半ばのひきこもりニート。飼い犬が唯一の友達。
◎リンクフリーです。
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