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通信制高校時代の知り合いから、約一ヶ月ぶりにメールがあった。
彼女とはお互い「精神的に弱くニート状態」という共通点はあるものの、逆にその他の部分で重なるところがほとんど無いので、月に一度互いの近況報告メールをするかしないかのみの、やはり「知り合い」の域を出ない仲である。
近況報告といっても、お互いここ数年ほとんど進展らしい進展がないので、「私は相変わらずだよ」「そうなんだ、私も」といった、毎回同じような中身のないやりとりになる。
まるで、お互いが相変わらずでいることを確認し合って安心することが目的となってしまっているような、そんなやりとり。
つまり、私と彼女との間には、特に取り決めをしたわけでもないのに、無意識のうちに二人で作り上げてしまった独特の絆のようなもの、名づけるならば『メンヘルニート同盟』なるものが存在するわけなのだ。
それは、精神的に不安定で社会に適応できない人間どうしの、劣等感や焦燥感や孤独感,絶望感でできている、悲しく歪んだ同盟。
「ずっと私たち、おんなじメンヘルニートだよね」な同盟。
二人を繋げるものはその同盟のみだが、ある意味それは、何よりも強力な絆となり得る。
それはそう簡単には壊れない。例えもしかしたら、お互い嫌い合っていたとしても。
こんな関係は不健全だ、こんなのお互いのためにならない、虚しくなるだけだ、もうメールが来ても返信はやめよう、と何度思ったことか知らない。
けれども一ヶ月後、またいつものように規則正しくメールは届いていて、それは振り返ればその一ヶ月の間に届いた中で、他のスパムや企業からの冷たいメールとは違った、私の返事を心で必要として送られてきた唯一のメールで、私は寂しさに負けて、また返事を書いてしまう。
そうして結局また今回も私は返事を書いてしまうのだが、だけど、その返信の内容はいつもと様相が異なった。
「最近私は、ひきこもりの支援施設に通い始めました。」
間もなく相手から、「へえ、すごいね!」と素直に喜んでくれているような返事が届いた。
でも、その後のメールの返信は言葉少なだったので、もしかしたら自分だけ取り残されているような気になって落ち込んでいるのかもしれない、と察した(容易く想像できた)私は、サポートステーションの情報を教え、いっしょに行ってみないかとすすめた。
彼女はサポステの存在を知らなかったようで、教えると少しは興味を持ったようだったし、もしかしたら近いうちに自分と同じ施設に通い始めるかもしれない。
そしたらそのときは、私たちの関係も、不健全ではあったが少なくとも無益ではなかった、ということになる。
人と打ち解ける能力は私よりも優れている彼女のことだから、サポステの利用を始めたら、案外すいすいと階段を上って行って、私なんかあっという間に追い抜いて社会に適応していっちゃうのかもしれない。
もしそうなったときは、やっかんだり足を引っ張ったりせず(思っても極力態度には出さず)、同盟なんてさっさと無かったことにして、(かたちだけでも)快く見送ってやれる自分でありたい。
彼女とはお互い「精神的に弱くニート状態」という共通点はあるものの、逆にその他の部分で重なるところがほとんど無いので、月に一度互いの近況報告メールをするかしないかのみの、やはり「知り合い」の域を出ない仲である。
近況報告といっても、お互いここ数年ほとんど進展らしい進展がないので、「私は相変わらずだよ」「そうなんだ、私も」といった、毎回同じような中身のないやりとりになる。
まるで、お互いが相変わらずでいることを確認し合って安心することが目的となってしまっているような、そんなやりとり。
つまり、私と彼女との間には、特に取り決めをしたわけでもないのに、無意識のうちに二人で作り上げてしまった独特の絆のようなもの、名づけるならば『メンヘルニート同盟』なるものが存在するわけなのだ。
それは、精神的に不安定で社会に適応できない人間どうしの、劣等感や焦燥感や孤独感,絶望感でできている、悲しく歪んだ同盟。
「ずっと私たち、おんなじメンヘルニートだよね」な同盟。
二人を繋げるものはその同盟のみだが、ある意味それは、何よりも強力な絆となり得る。
それはそう簡単には壊れない。例えもしかしたら、お互い嫌い合っていたとしても。
こんな関係は不健全だ、こんなのお互いのためにならない、虚しくなるだけだ、もうメールが来ても返信はやめよう、と何度思ったことか知らない。
けれども一ヶ月後、またいつものように規則正しくメールは届いていて、それは振り返ればその一ヶ月の間に届いた中で、他のスパムや企業からの冷たいメールとは違った、私の返事を心で必要として送られてきた唯一のメールで、私は寂しさに負けて、また返事を書いてしまう。
そうして結局また今回も私は返事を書いてしまうのだが、だけど、その返信の内容はいつもと様相が異なった。
「最近私は、ひきこもりの支援施設に通い始めました。」
間もなく相手から、「へえ、すごいね!」と素直に喜んでくれているような返事が届いた。
でも、その後のメールの返信は言葉少なだったので、もしかしたら自分だけ取り残されているような気になって落ち込んでいるのかもしれない、と察した(容易く想像できた)私は、サポートステーションの情報を教え、いっしょに行ってみないかとすすめた。
彼女はサポステの存在を知らなかったようで、教えると少しは興味を持ったようだったし、もしかしたら近いうちに自分と同じ施設に通い始めるかもしれない。
そしたらそのときは、私たちの関係も、不健全ではあったが少なくとも無益ではなかった、ということになる。
人と打ち解ける能力は私よりも優れている彼女のことだから、サポステの利用を始めたら、案外すいすいと階段を上って行って、私なんかあっという間に追い抜いて社会に適応していっちゃうのかもしれない。
もしそうなったときは、やっかんだり足を引っ張ったりせず(思っても極力態度には出さず)、同盟なんてさっさと無かったことにして、(かたちだけでも)快く見送ってやれる自分でありたい。
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Re:
自分が健全な人間関係を築くためには、自分自身をもっとなんとかするしかないんだと思います。
そしてそれは、このままの生活の中では難しいことなのでしょう。
だけどそもそも、「健全な人間関係」って一体どういうものをいうのでしょうねぇ・・・
ちょっと言葉がおかしいのかもしれません。
健全不健全よりも、「自然な関係」「不自然な関係」という表現の方が自分的には分かりやすいかもです。
それで考えてみると、自分が人と関わるときに、「その人と関わることを自然に楽しめているかどうか」が、その関係がどんなものかを判断するヒントになってくれるような。
・・・ということを今思ったんですけど、自分で書いててちょっと意味不明ですw
とにかくコメントありがとうございました^^
そしてそれは、このままの生活の中では難しいことなのでしょう。
だけどそもそも、「健全な人間関係」って一体どういうものをいうのでしょうねぇ・・・
ちょっと言葉がおかしいのかもしれません。
健全不健全よりも、「自然な関係」「不自然な関係」という表現の方が自分的には分かりやすいかもです。
それで考えてみると、自分が人と関わるときに、「その人と関わることを自然に楽しめているかどうか」が、その関係がどんなものかを判断するヒントになってくれるような。
・・・ということを今思ったんですけど、自分で書いててちょっと意味不明ですw
とにかくコメントありがとうございました^^
Re:無題
こんにちは。
ブログ応援ありがとうございます。
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