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人の視線がこわいのは相変わらずで、とくに電車内など人がひしめき合う場では、挙動不審がとまらない。
自分は周りから変に浮いてるんじゃないか、自分はここですごく異質な存在なんじゃないか、とどうしても気になってしまう。
容姿のコンプレックスはもとより、自分の格好が他者の目にどう映っているかも気になる。
服装は地味でも、自分なりに好きなものを着ているつもりで、流行と無縁とはいえ、そこまで珍妙な格好にはなってないと思っている。
でも、それは自分がそう思っているだけで、実はハタから見たらとんでもないキテレツな格好なのかもしれない、そもそもファッションに疎い自分のセンスというものがそれほど信頼するに足るものなのか。そんな疑問も湧いてくる。
センス云々のことだけではない。
Tシャツを裏返しに着てしまってるんじゃないか、
急いでつけた整髪料が塊になって鳥の糞みたいになってぶら下がってるんじゃないか、
足のムダ毛を剃り残していてそれを周囲の人に気付かれてしまっているんじゃないか、
ジーパンのお尻のところに気付かぬうちヘンな染みがついていて、後ろの人たちに妙な受け取られ方をされているんじゃないか、などなど、
外出前にちゃんと姿見で確認したにもかかわらず、もういろいろ際限なく不安が湧いてくる。
こうした不安がいきすぎていることは自分でもよく分かっていて、気にしすぎだ、さっきちゃんと確認したんだから大丈夫、仮に整髪料が鳥の糞みたいになっていてそれを周囲の人たちに「あれは鳥の糞だろうか。エンガチョ」と思われていたとしても、別にいいじゃないの、その場限りの人たちなんだから、っていうか糞じゃねーし、などと自分をなだめすかしてみるのだけど、不安は別にそのことだけじゃなく、お尻のヘンな染みの件ほか山積みなので、あまり有効ではない。
周りをよく見てみれば、ただの自意識過剰で、誰も自分のことなんか気にも留めてないことが分かるのだけど、人と目が合うことが怖いので、その「周りを見渡す」ということをする勇気がなかなか出ない。
時たま余裕のあるときなんかに、勇気を振りしぼり顔を上げてみることもある。
すると先述のとおり、ほぼ自意識過剰、気のせいであることが分かる。
だが稀に、上げた視線が近くにいた人のものとフトかち合ってしまうこともあって、そしてその人の視線がやけに意味ありげに見えたりして、そんなとき、やっぱり気のせいじゃなかったんじゃないか、と再び不安地獄に引き戻されるのだ。
可能性がゼロだという確証がない限り、不安は生産され続ける。
そういう損な思考のクセが私にはある。それは小さい頃からのものだと思う。
不安になってしまうことはもう、仕方がないんだろう。
その不安に対しての有効な対処法が自分の中で確立されていないことが、問題なのかもしれない。
うーーん、良い対処法、ないもんかなあ。
自分は周りから変に浮いてるんじゃないか、自分はここですごく異質な存在なんじゃないか、とどうしても気になってしまう。
容姿のコンプレックスはもとより、自分の格好が他者の目にどう映っているかも気になる。
服装は地味でも、自分なりに好きなものを着ているつもりで、流行と無縁とはいえ、そこまで珍妙な格好にはなってないと思っている。
でも、それは自分がそう思っているだけで、実はハタから見たらとんでもないキテレツな格好なのかもしれない、そもそもファッションに疎い自分のセンスというものがそれほど信頼するに足るものなのか。そんな疑問も湧いてくる。
センス云々のことだけではない。
Tシャツを裏返しに着てしまってるんじゃないか、
急いでつけた整髪料が塊になって鳥の糞みたいになってぶら下がってるんじゃないか、
足のムダ毛を剃り残していてそれを周囲の人に気付かれてしまっているんじゃないか、
ジーパンのお尻のところに気付かぬうちヘンな染みがついていて、後ろの人たちに妙な受け取られ方をされているんじゃないか、などなど、
外出前にちゃんと姿見で確認したにもかかわらず、もういろいろ際限なく不安が湧いてくる。
こうした不安がいきすぎていることは自分でもよく分かっていて、気にしすぎだ、さっきちゃんと確認したんだから大丈夫、仮に整髪料が鳥の糞みたいになっていてそれを周囲の人たちに「あれは鳥の糞だろうか。エンガチョ」と思われていたとしても、別にいいじゃないの、その場限りの人たちなんだから、っていうか糞じゃねーし、などと自分をなだめすかしてみるのだけど、不安は別にそのことだけじゃなく、お尻のヘンな染みの件ほか山積みなので、あまり有効ではない。
周りをよく見てみれば、ただの自意識過剰で、誰も自分のことなんか気にも留めてないことが分かるのだけど、人と目が合うことが怖いので、その「周りを見渡す」ということをする勇気がなかなか出ない。
時たま余裕のあるときなんかに、勇気を振りしぼり顔を上げてみることもある。
すると先述のとおり、ほぼ自意識過剰、気のせいであることが分かる。
だが稀に、上げた視線が近くにいた人のものとフトかち合ってしまうこともあって、そしてその人の視線がやけに意味ありげに見えたりして、そんなとき、やっぱり気のせいじゃなかったんじゃないか、と再び不安地獄に引き戻されるのだ。
可能性がゼロだという確証がない限り、不安は生産され続ける。
そういう損な思考のクセが私にはある。それは小さい頃からのものだと思う。
不安になってしまうことはもう、仕方がないんだろう。
その不安に対しての有効な対処法が自分の中で確立されていないことが、問題なのかもしれない。
うーーん、良い対処法、ないもんかなあ。
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Re:無題
akikoさんもそうなんですか~。どうにかならないもんでしょうかねぇ。
もっと開き直れればいいんでしょうけれども。。
文庫本読んだり、何かに集中している時は不安も少しは和らぐ気がするので、他の何かに集中するよう意識するというのも一つの手かなぁ、とは思うんですが、それも緊張の強いときはなかなか難しいです。
場数を踏みつつ少しずつ、地道に慣れていくしかないんでしょうかねぇ・・・
もっと開き直れればいいんでしょうけれども。。
文庫本読んだり、何かに集中している時は不安も少しは和らぐ気がするので、他の何かに集中するよう意識するというのも一つの手かなぁ、とは思うんですが、それも緊張の強いときはなかなか難しいです。
場数を踏みつつ少しずつ、地道に慣れていくしかないんでしょうかねぇ・・・
はじめまして
最近、すごーくウツになって
このブログにたどり着き
その後何度も拝見しました。
電車、う~ん自分はオッサンでっすが
若い頃、確かに人目をすご~く気にして
いましたね。
年取って現在の感想
気にしても仕方ないですよ
お面かぶって乗るw
なんてどうでしょう?
あの頃人目を気にしていたけど
今の自分なら真昼間から
お面かぶって乗れるかも
かぶっていれば誰だかわからないもんね。
このブログにたどり着き
その後何度も拝見しました。
電車、う~ん自分はオッサンでっすが
若い頃、確かに人目をすご~く気にして
いましたね。
年取って現在の感想
気にしても仕方ないですよ
お面かぶって乗るw
なんてどうでしょう?
あの頃人目を気にしていたけど
今の自分なら真昼間から
お面かぶって乗れるかも
かぶっていれば誰だかわからないもんね。
Re:はじめまして
ポンさん、はじめまして。
ブログ見てくださっていたとのことで、ありがとうございます。
ウツの方は、大丈夫でしょうか?
このブログを見てますます悪化しないか心配です。
若い頃は誰しも少しは、自意識過剰になるものなのでしょうか。
だとしても、自分の自意識過剰は過剰すぎですね(笑)
気にしても仕方ないですよねぇ。
分かってはいるのですが、なかなか難しいです。
お面、ですかww
それは確かに、誰だかは分かりませんが、かなりの不審者ですね。
でも、そうやって思い切ってヘンなことしてみるのも、一種の荒療治になったりするのかもしれません。
ただ私には、勇気が足りません。
ブログ見てくださっていたとのことで、ありがとうございます。
ウツの方は、大丈夫でしょうか?
このブログを見てますます悪化しないか心配です。
若い頃は誰しも少しは、自意識過剰になるものなのでしょうか。
だとしても、自分の自意識過剰は過剰すぎですね(笑)
気にしても仕方ないですよねぇ。
分かってはいるのですが、なかなか難しいです。
お面、ですかww
それは確かに、誰だかは分かりませんが、かなりの不審者ですね。
でも、そうやって思い切ってヘンなことしてみるのも、一種の荒療治になったりするのかもしれません。
ただ私には、勇気が足りません。