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先週から今週にかけて、すごい勢いでひきこもり施設に通い詰めていた。
プログラムの予約を入れ過ぎたみたいだ。
6月から、面談のほかにプログラムにも徐々に参加するようになって、他の利用者と顔を合わせる機会ができた。
最初は緊張して、ずっと俯いて誰とも目も合わさず、用が済んだら逃げるように帰っていたのだが、少しずつ慣れてくるにつれ、挨拶したり、何かきっかけさえあれば自ら話しかけたりもできるようになってきた。
知り合いも数人できて、プログラムの前や後に雑談したりする機会も増えた。
それで気付いたんだけど、私ってべつに、人と話すのが嫌いなわけじゃなかったみたいだ。
むしろ好きなのかもしれない、とさえ思えてきた。
ここ数年、自分と話してくれる人間といったら、家族、カウンセラー、病院の先生ぐらいのものだった。
カウンセラーや先生なんて、向こうにしてみたらただ仕事で事務的に相手をしているだけだ。
対等で、互いに親交を深めることだけが目的の会話とは、久しく縁がなかった。
だから、大したことでなくても、あんまし中身がなくても、いやだからこそなのか、そういう会話ができるということが、なんか嬉しいみたいで、連日なんとなく神経が昂っていて、どこか混乱もしていて、疲れた。
一方でその疲労感から、外界をシャットアウトしてしばらく閉じこもりたい欲求も出てきていて、さすがの引きこもり体質だなぁと我ながら感心してしまう。
自分の世界を乱されることが苦手みたい。流されやすいフワフワ人間だからなおさら。
プログラムの予約を入れ過ぎたみたいだ。
6月から、面談のほかにプログラムにも徐々に参加するようになって、他の利用者と顔を合わせる機会ができた。
最初は緊張して、ずっと俯いて誰とも目も合わさず、用が済んだら逃げるように帰っていたのだが、少しずつ慣れてくるにつれ、挨拶したり、何かきっかけさえあれば自ら話しかけたりもできるようになってきた。
知り合いも数人できて、プログラムの前や後に雑談したりする機会も増えた。
それで気付いたんだけど、私ってべつに、人と話すのが嫌いなわけじゃなかったみたいだ。
むしろ好きなのかもしれない、とさえ思えてきた。
ここ数年、自分と話してくれる人間といったら、家族、カウンセラー、病院の先生ぐらいのものだった。
カウンセラーや先生なんて、向こうにしてみたらただ仕事で事務的に相手をしているだけだ。
対等で、互いに親交を深めることだけが目的の会話とは、久しく縁がなかった。
だから、大したことでなくても、あんまし中身がなくても、いやだからこそなのか、そういう会話ができるということが、なんか嬉しいみたいで、連日なんとなく神経が昂っていて、どこか混乱もしていて、疲れた。
一方でその疲労感から、外界をシャットアウトしてしばらく閉じこもりたい欲求も出てきていて、さすがの引きこもり体質だなぁと我ながら感心してしまう。
自分の世界を乱されることが苦手みたい。流されやすいフワフワ人間だからなおさら。
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